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「くよくよ」悩んでしまう時にできること

わたしたちは、起きてしまった事を「くよくよ」と悩んでしまうことがあります。


「くよくよ」してしまう原因は、さまざまです。

例えば、車をぶつけてしまった、大切なものを無くしてしまった、

何かの試験やテストに落ちてしまった、などたくさんあります。


もし車をぶつけてしまったとしたら、どんな「くよくよ」がありますか。

「なんであのとき、こうしていれば、ああしていれば」と過去の行動を悔やんだり、

 保険代や修理代など、失うことになる金銭や時間を不安に思うかも知れません。


大切なものを無くしてしまったら、どうですか。

「失ったものの価値がどれくらい大きかったか」と損失を悔やんだり

「それをまた得るために、どのくらいの損失になるのか」と悩んだりするかも知れません。


何かに試験やテストに落ちてしまった時は、どんな「くよくよ」でしょうか。

十分努力したのに「もっと努力が足りなかった、やっぱり自分はだめだ」と自分を責めたり

「きっと何度挑戦しても、自分は落ちるだろう。もう無理だ」とあきらめたりするかも知れません。



実際、起きてしまったことは、無かったことにすることはできません。

生じた事自体は、コントロールすることができないことだからです。

でも、起きた後でも、コントロールできることがあります。





それは、起きてしまったことを「どう意味づけ、解釈するか」ということです。

実のところ、生じることには、ネガティブもポジティブもない「フラットな出来事」だと言われています。

起きた出来事をネガティブに捉えるのも、ポジティブに捉えるのも自分次第だからです。


では、車をぶつけてしまったら、どのようにものの見方を変えることができるでしょうか。

「車は凹んだけど、人を傷つけなくてよかった」

「もし同じような意識で運転を続けていたら、人を傷つけていたかもしれなかった。

 車が凹んだぐらいで済んでよかった。これからは人に優しい運転をしよう。」


では、大切な物を無くしてしまったら、どう自分の考えを良い方向に考えられるでしょうか。

「これがなきゃ生活ができないと思っていたけど、なくても案外なんとかなるな。」

「ほんとうに大切なものって、僅かなんだな。それに気づけてよかった」

「なんか物に執着していたな、なんか解放されて、心が軽くなってよかった」まで考えられます。


何かの試験やテストに落ちた時はどう考えられますか?

なんとなく分かってきたのではないでしょうか。

「これで、今の自分の実力が知れた。取り組む課題がはっきりして、よかった」

「もしギリギリ合格してたとしても、その後、付いていくのに大変だっただろう。

 もっと余裕を持って次に進んだほうがよかったな。肩の力を抜いていこう」

「そもそも、自分はどこからも落ちていない。自分の前には目指すべきプラグだけだ。

 夢中になって打ち込めることがあって、幸せだな〜」


どうでしょうか。

事実は全く変わってないのに、心の状態は「くよくよ」していません。

むしろ、起きたことから教訓や学びを得て、心が穏やかなままなのです。

このようなポジティブな考え方が本当の自分の思考になった時、「すべて起きてよかった」と思えるようにまでなります。


こうなったら、心がいつも穏やかで、安定しています。

「くよくよ」することや、また何か悪いことが起こるんじゃないかと不安にあることもありません。


このような物の見方のコントロールは、誰にでも身につけられるものです。

このような思考を身につけて、いつも穏やかに生活したいと思いませんか。


「チルタイム」は、そんなあなたの力になります。


 メンタルトレーナーより




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